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Channel: スポーツナビ+ タグ:アングル
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勝ち目のない試合をさせられるプロレス

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プロレス人気って、本物か?私はずっとこの事に関しては疑問を抱いていた。新日本プロレスだけじゃないのか?その新日だって、キッダーニ男爵が就いてなきゃ相変わらず沈下していたじゃないか。キッダーニ男爵がいたけど、もうその必要が無くなって彼等レスラーだけで十分回せるようになったが。だが、現実的にプロレスの人気はあるのだろうか?プロレスラーとしてテレビに重宝がられて出るのは相変わらず闘魂三銃士だけじゃないか。蝶野正洋、武藤敬司、もう亡くなってしまったが橋本真也もよくテレビに出ていた。橋本大地はただ単に橋本真也の息子として出ているだけで、今となってはもう真也の息子だけで出られるようではないな。後は小川直也くらいだ。それに、とっくに引退していているのにテレビに出られているのは佐々木健介だし、世間的には佐々木健介がまだプロレスをやっていると思っているのが殆どではないのか。引退したらテレビに出まくることはよくあるが、引退した選手が自分達がいた所を広めようとは思わないのだろうか。それはやっているのだろうけど。結局プロレスのファンである木谷高明の猛烈な宣伝とプッシュによって底上げされているだけである。木谷がこのプロレスから撤退してしまえばどうなるか、一気に衰退するだけである。 K-1に就いていたスポンサーがどうなって行ったか、みんな見逃していたけど最終的にはどこも就かなくなって終わってしまった。 K-1がまさか選手個人に就いていたスポンサーを頼っていたなんて、思いも寄らなかったろう。さて、教養としてのプロレスと言う本を読んでみた。教養としてのプロレスを読んだ。 感想はアマゾンのレビューに書いてます。 pic.twitter.com/q855ZBQ5QG— 叢叡世СтепинБудимир (@kusamura_eisei) 2014, 10月 13 プロレスの現状を語り、且つプロレスがあるからメディアリテラシーが付いた、とも書かれていた。気になることがある。著者のプチ鹿島は立花隆の「プロレスは愚か者のするものだ」と言われて反論が出来ずに、プロレスを唐揚げに見立てて「唐揚げが好きな人はいる、唐揚げが美味いと言う人がいてもいいじゃないか」と開き直るような言葉で書いていた。立花隆の言葉もプチ鹿島の言葉もこちらがざっくりまとめたような言い方なので、そこは了承して欲しい。唐揚げと表現した事で。今のプロレスの現状を見事に表しているなとさえ思えた。昔はみんな唐揚げが好きだった。今は相対化の時代だし、唐揚げよりも美味しいものが溢れているし、唐揚げは体に良さそうなものではないと言うイメージが付き纏っている。今のプロレスはそれだなと思える。現実は唐揚げが好きな人間しか集まらないのである。今の木谷の宣伝は唐揚げはこんなにも美味しいものだと色んな唐揚げの調理方法を女子供に紹介しているだけである。プロレスから派生した総合挌闘技はなんだろうか。ステーキ?焼き肉? PRIDE全盛は明らかにステーキだったよね。でも今の総合挌闘技はサイコロステーキ。 IGFは豆腐ハンバーグをメジャー化させようと努力しているな。アメトーークで武藤敬司が自分の娘にプロレスは頭の悪い人がするものだと言われて何も言い返せなかったことを紹介していたが、現実的には、世間の認識はこんなものなのだろう。上記の本には現実的には響かない届かないプチ鹿島の煩悶と逡巡が描かれている。まあ可愛そうだねとしか言えない。これでは、大多数の人達には伝わらないのだなと思う。アントニオ猪木は常に対世間である。これは凄いことだし、長年テレビ挌闘技を扱って来た人だから対世間という認識があるのだ。先にも挙げたが猪木は豆腐ハンバーグをメジャー化させようとしている。齢70超えてもこの勢いだ。凄い。若手が寧ろテレビ挌闘技(マスメディア挌闘技)を知らないから世間に届くノウハウを知らない。当然で、非日常のアメージングを世間に届けるのがプロレスの務めだと猪木は頭の中に思い描いているのだろうと窺える。しかし、何度も言うだろうが現実的には「プロレスはショウビジネス」なのである。世間がプロレスは八百長だとか言ってプチ鹿島はそういう風潮に憤りを感じていたが、坂田亘も国会議員にプロレスは八百長だという発言に噛み付いていた事も記憶にあるだろう。しかし、坂田亘の意図も見抜かれてしまって「宣伝のためのアピール」だとも言われてしまった。アングルが最早嘘臭い事もみんな判ってしまっている。大仁田厚が貴闘力に噛み付いた振りをするのも、それが興行を盛り上げることだと世間がとっくに判ってしまっているから、一部の人間にしかそれが伝わらなくなってしまっている。世間は分かっていない、と言うのは容易い。相手が馬鹿だと言ってしまえばそれで終わるし、それまでだし、結局プロレスがショウウィンドウだということが判ってしまってファンも離れてしまっていたにも拘らず、離れていく人々に対して、そしてチラリと覗き見していた人間に対してどう言う態度で臨んでいたか、それがどういうような結果を齎したのか、言うまでもないだろう。逆にサッカーは国内のJリーグはテレビで放映することはないが国際試合では常に半分くらいの視聴率を稼ぐ。人ってやっぱりナショナルなものを抱えると気になるんだよね。昭和のプロレスだって外人選手と戦ってきたから人気が出ていたのだ。 K-1が何でやっぱり人気が出たのか、それは外国人と戦うからである。異種挌闘技を演じて注目を集めることもあるが、やっぱり新鮮さを所望するのが人なんだなと思う。さて、今新日のテレビ放映時間が変わっていることに気付かないだろうか?テレビのプロレスなう pic.twitter.com/hj3YWE9YDp— 叢叡世СтепинБудимир (@kusamura_eisei) 2014, 10月 18 さっきオカダカズチカの肩くっついてたよね。 pic.twitter.com/Rh41UYzxHk— 叢叡世СтепинБудимир (@kusamura_eisei) 2014, 10月 18 タナとAJ pic.twitter.com/Rn76oo9lhZ— 叢叡世СтепинБудимир (@kusamura_eisei) 2014, 10月 18 タナ持ち上げられる pic.twitter.com/xKnz5ifqbv— 叢叡世СтепинБудимир (@kusamura_eisei) 2014, 10月 18 関東だから他の地域ではどうなのか知る由もないが、ワールドプロレスリングと言う30分放送の後にいつも333と言うトリオ芸人3組が出るバラエティ番組があったのだが、それが放送時間が繰り上がって新日の放映時間の前に来た、と言うよりも順番が入れ替わってしまったのだ。芸人に負けたプロレスラー此処に有りと思ってしまった。プロレスブームとは何だったのか。オカダカズチカはゴールデンの番組に出たのか?この前中居のミになる図書館にオカダカズチカと外道がプロレスの裏事情というので出ていたが、オカダカズチカが喋れないのはリングの上でもスタジオの中でも同じだなと思ったが、あろうことかリング上のナビゲーター役の外道も中居達の手玉に取られてしまっているのである。リングの上では饒舌なのに。これはプロレスがガラパゴス化している何よりの証拠でもあった。佐々木健介も喋れない。棚橋弘至も5時夢に出た事があるが喋れない。先に繋がらない。鈴木みのるが出来るくらいである。やっぱり、テレビ挌闘技のある時代から出ている選手との差が出ているなと思ってしまった。船木誠勝はちょっと俳優をやっていた時期もあって、まああんな感じなのは変わらないにしても、喋れる。クネクネおじさんはどうかなと思ったが、あの人もギリギリで地上波挌闘技に触れたこともあってまあトークはギリギリだろう。サクちゃんや柴田はどうだろうか。彼等も長い事地上波挌闘技に出ていたからそれなりに喋れたりはするが。トーク力を身に付けよと言われるかもしれないが、やっぱり自分とこがどういうところなのか宣伝しないとそのコンテンツは終わってしまうんだよね。高山善廣は最近とみにテレビに出て喋ったりもするが、テレビに出れば慣れるものだと高山を観て思う。と言うよりも高山も地上波挌闘技に出ていたんだよね。さて、よくよく見ても同じプロレスラーでも出身団体の違いにトーク力に差が出ている。トーク力の話になってしまっているが、世間にアピールするものを説明しないとただ腕を引っ張って観に来いと言っても駄目である。今上に挙げた選手で高山、鈴木みのる、サクちゃん、名前は挙がってないが高田延彦、前田日明、みんな所謂“ガチ系”のプロレス出身である。これまでの予定調和的なプロレスを排して“真剣勝負的”なプロレスを標榜して旗揚げして一時期でもいいが人気を博していた団体が幾つもあったではないか。 R、U、P・・・。などなど。そこからスライドして行ったPRIDEが人気を博していたのも事実ではないか。だけど余りにも看板を大きくしてしまったがために、その重みに耐え切れずに終わってしまったが。人はやっぱり“真剣勝負”が見たいのである。そう言えば北岡悟が「真剣勝負のプロレス」とかって去年言ってたが、あれ、鈴木みのるの言葉だったんだよね。北岡悟の古巣のパンクラスを作った鈴木みのるが言っていたからなんだろうか。そういや、北岡は総合挌闘技よりもプロレスラーの先輩(鈴木や高山)から色々Twitterで突っ込まれてたりするな。プロレスにはプロレスの良さがあるのだけれども、しかし、やっぱり世間の目って気になるよね。現実的なプロレスの認識は「頭の悪い人がするもの」なので、これをどう覆すのだろうか。先述のアントニオ猪木が対世間を意識していると言うことは触れたが、馬鹿にされるプロレスラーではなく、尊敬されるプロレスラーを育てているのではないかと思える。高橋義生がIGFのコーチに就いたが要するに鍛え直す所から始めるのだ。ヘビー級を育てるということは、強い選手を育てるということで、極々単純な話なんだよね。アングルとかドラマとかじゃなくて、単純に「強い人がプロレスラーである」ということの復権を求めているんだよね。総合挌闘技全盛の頃、プロレスラーがボロボロに負けていた現実があったが、それもあって人はプロレスラーを尊敬出来なくなってしまったのかも知れない。京太郎が今ボクシングに勤しんでいるが、京太郎も見ようによっちゃあ「プロレスラー」である。強さの証明をするのだから。その点で言えばノブ石田も十分にプロレスラーを演じている。プロボクサーがプロレスラーなのだ。なんだこりゃ。クラッシャー川口がアントニオ猪木に褒められていたが、総合挌闘家の方がプロレスラー然としているのである。つまり、求められている物を本来持つべきプロレスラーが持ち合わせていなかったのである。 IGFが総合挌闘技を織り交ぜたのは、やっぱり客に強さとは何なのかを教えるためにさせたのかも知れないなと思う。鈴木秀樹はIGFを離脱したが、あれはあれでプロレスの美学を求めているのだから別に間違ってはいない。試合熟せば分かって来るものなのだろうか。客の熱を取り込むもうと考えているのだろうけど、結局観に行くのはファンだけである。いつになったら気がつくのだろうか。 DDTがインディーから始まって大きくなっていったが、あの戦略は対世間でコミカルに演じることで独自の道を模索していったのだと思う。ただ、ハッスルの二の舞いにだけはなるなよと思う。

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